“整いすぎた場”で、整いきれないひとたちが居所を確かめてみる。
稽古を重ねるたびに、そんな作品へと少しずつ寄っていっているように感じます。
作家が、演出家が、俳優陣が——なにを浮かべようとしているのか。
あえて深くは知らないまま、外側から見ています。
観る人それぞれが、自分の“居場所”や“感触”を確かめられるような感覚をもたらすことができたら、
観客として関わることに意味があったと言えるでしょう。
今回の「レ-ガデラ」は、三面の客席にひらかれた空間で上演されます。
観客同士が互いに見える——つまり、「誰かを観る」と同時に「誰かに見られている」場です。
揺れまくるストーリーも、強い演出効果もありません。
あるのは、問いへの返答。作業の手順。報告。あいさつ。
ただそれだけのものが、静かに、確かに置かれています。
見ているうちに、なにかが少しだけ動いていく。
気づいたときには、呼吸のリズムが変わっている。できれば深く、穏やかに。
そんなふうに、ゆっくりと滲み出す変化を見てもらえたらいいなとおもいます。

立ち位置と道具。
動くことと動かすことに、俳優たちが意味を見いだした瞬間、
目に見えない「動機のかたち」がその場に立ち上がります。
一歩を出すこと。立ちすくむこと。
なにかを見ようとすること。見えなくなること。
立つこと。立てないこと。
それらをまるごと肯定するような、そんな空間を目指しています。
「意味のないこと。ただそこにあること。それが妙に美しい。それは多分、祈りに似ているから」
——旗揚げ公演のフライヤーに書いた言葉です。
矛盾しているわけでも、変化したわけでもなく、
“意味を持てないこと”に目を向けるためには“意味”に目を向けるという、
あるなしクイズのような思考の往復が、今回も流れています。
静かで、やや不安定ながらも正確で、そして確かに育っている。
「レ-ガデラ」は、そんな作品です。
いのまちは今回は、脚本・演出というより、“設計”をしたのだと思います。
誰に届いてほしいか。
観客を選びたくはないのが前提です。
どうか、静けさの中で息づくひとたちを見にきてください。
そして、あなた自身の居所を、ひととき、たしかめていただきたいです。
ご予約お待ちしております。
https://lailai.main.jp/004
しき(來來尸來 プロデューサー)


P.S.
作品は常に変化し続けているので、来週には何言ってるんだとなるかもしれません。