來來尸來 website

0704

先日誕生日を迎えました。
前回の共演者のミワチことミワチヒロ氏から日付が変わると同時にLINEが送られ、主宰の出町からケーキ8種盛り(実際には7種盛りだったのですが本人がそう言っていた)を買ってきてもらい、現座組の皆さんにハッピーバースデーを(半強制的に)歌ってもらいました。その他諸々……來來尸來という舟を漕いでいなかったら祝ってもらわなかっただろう相手に祝えてもらえたことに喜びを感じます。
今後ともよろしくお願いします。

さて、本番まであと1ヶ月半です。
早いものです。
感染症対策を練っては殺し練っては殺しの繰り返しの最中、俳優の皆さんと稽古に励んでいます。
來來尸來の本公演では「制作」「広報」「役者」の三本柱が自分のなかでうまいこと機能している(自己評価)のですが、なんだか今回はスタッフ業も俳優業もうまく進んでいない実感があります。
わたしとしたことが、悩んでいるのです。

すいらいの稽古は來來尸來の稽古とは真逆な進め方をしています。
來來尸來の芝居のひとつに「触れない」ルールがあります。
「ログ」でも「スパイア」でもそして「ルビ」でも「身体接触をしない」というルールが守られてきました。
厳密に言えば「ログ」ではそのルールがある上でラストの一瞬だけ「女が男に綿飴をなすりつけるシーン」があり、身体接触をしているのですが、安易に触れないというルールでクリエイションをしてきました。

睡眠時間×來來尸來 共創企画「変身」でのわたしはというと、それはもう、娘役に触りまくりです。
娘を盾に息子の部屋に入っていくシーンがそこそこお気に入りです。
同じ家族モノでも「スパイア」とはまた違う家族のかたちがあるんですね。
自分の人生の命題は「しあわせな食卓とは何か」なのですが、「変身」に描かれる食卓のゴールは何かななんてことを考えながらテキストに沿って進んでいます。
指針が決まっていないからこそ自分の板の上での在り方を模索していけるのかもしれませんね。
ただ、その模索の過程は俳優にとってはとにかく孤独です。

指針という共通ルールを武器に舟を漕いできた來來尸來の団員としては、その孤独さに残りの1ヶ月半を耐えきれるか不安が募ります。

でもまあ、指針なんてものはあってもなくても、板の上に立つ人間は孤独なのではないかとおもいます。
実際孤独でしたから。ログもスパイアもルビも。
あ、なんか孤独って書きまくってると孤独という言葉がどんどん軽く感じてきますね。
言葉は使えば使うほど軽々しくなるものです。

ありがたいことに、今公演では詩人のchoriさんにオープニング・ポエトリーを担っていただきます。
最初から最後まで孤独になりうるであろう板の上の人間に、どうか光を差しのべていただけたら。

最終的には(いつが最終なんでしょう、どこが目的地なんでしょう)作品によってあつまってくれたひとたちを掬えていけたらとはおもいます。

むずかしいな。

しき