來來尸來 website

帰りたくないまちがあるひとへ

最近手相占いをしてもらったのですが、どうやらわたしを愛してくれるひとは30代になるまで現れないそうです。

わたしは他人に愛されることに価値を見出さない、というか、愛ということばをあまり使いたくなくて。
30代になってもたぶん愛はいらないんだと思います。

というのも、自分のなかで「愛」ということばは幼少期から馴染みがなく、ファンタジーのなかにある概念だからです。
多くの日本人にとって、親に教会に連れていかれたりキリスト教系の幼稚園に入れられたりしない限りはそうだと思います。

しらなくても生きていけたし、まあ生きていけたのも、愛に代わるものがあったんだとは思います。

しらないことばをしることは面白い。
けど、自分にはどうも懐かない。
プロテスタントの大学を卒業しましたが、聖書を読んでもまったくその意味を理解できませんでした。

愛を語る人間を理解できないわけではないし、愛みたいなものに恵まれている自覚はあります。

あまり使いたくない愛ということばを自分の中で定義するとすれば、「帰るべき場所」です。

地元に帰るという行為が生理的にも精神的にも無理でした。
最近は帰りたくても時間がとれないんですけど。
母親の料理のおいしさに気づけたのも地元を離れたからで。

京都にいたいと思えるのも京都が帰るべき場所だと言えるのも、京都を一度離れたからで。

自分がその土地に帰りたいと思うために一旦離れることが必要でした。
帰りたいと思うことが必要かどうかはわかりません。

背徳を常に流してくれた鴨川のように、
どんなに逸脱しようと、左折を繰り返せば「おかえり」と言ってくれる京都のまちのように、

來來尸來という劇団が、(あなたが何らかの理由で離れたとしても)かならず両手をひろげてくれるような場所になれたらいいなと常々考えています。

しき(制作・広報)