いつもはあたたかく両手をひろげてくれる京都だが、この日は雪がちらついていて、故郷のつめたさを感じさせた。
役者が何やらカンパ協力をわりとしつこめに促す。素面で聞くとさむい。
受付と場内スタッフも兼ねていた役者たちが、「いきます」だか「やります」だかのきっかけで芝居をはじめる。(これも演出だとすれば、してやられた感があって悔しい。)
ゆるゆるな空間から一瞬で。
喫茶フィガロにも一応照明設備と音響設備はあるのだが、ほぼ素舞台(いつものフィガロのまま)で進行される。
こういうこと(いつでもどこでも劇をはじめること)は彼らにとって得意中の得意なのだろう。
(この時期になると、思い出すひとがいた。去年はどうだったか忘れたけど、今年は「そういえばいたなあ」「ちょうどいまぐらいの時期にいなくなったなあ」といったふうに思い出してしまった。
きっと、もう、自分のなかに同化しているのだ。)
どうしようもない人間でも、「つめたさ」とか「さみしさ」とかそういうものを感じてしまうこと。
「覚えていないかもしれない」ことへの不安。
「覚えていないかもしれない」のは自分だったことだというやるせなさ。
それでも「思い出」せるという希望。
びっくりするぐらい、投影してしまって冷静にみることができなかったのでとりあえず寝てからこれを書いた。
やっぱり劇評は書けなかったけど、寝て起きてもいい気分が残る芝居というのはやっぱりいいものなのだとおもう。
強い劇団だ、とおもった。
劇団としてはあたりまえなのだろうが、劇団員3人が作品を作っている。どんなに巧い俳優もそこに入る余地はない。3人の、演劇だ。
近年よく聞く「ユニット」「座組」という言葉も、彼らには似合わない。
理想の、劇団の姿だ。
(しき)
喫茶フィガロ冬の文化祭2018 出演作品
劇燐「花に荒らし」猫火公演
『ながぐつをはいた猫のようなもの』
脚本・演出:伊藤優
出演:出町平次 伊藤優 内藤一馬
日程:2018年12月29日(土)
★19時20分~/20時45分
料金:カンパ制+ワンドリンク注文制
会場:喫茶フィガロ(京都)
